Gwynham Ironheart(ぐぃんはむ・あいあんはーと)
ヴァナ・ディールにおける歴史上の人物。種族ヒューム
クエストある冒険者の足跡」で調べることになる石碑を残した人物の一人。
生没年:天晶暦688~765

バストゥーク共和国出身の元船乗りの冒険家。遭難し、生き残ったことをキッカケにヴァナ・ディール地図作成をライフワークとした。
各地を徒歩でめぐりクォン大陸全域の地図を作成、その正確さは現在の地図の元となっている。彼の残した足跡は各地に碑文として存在しており、当時の歴史を伺い知ることができる。
また、のちに自治都市となる入り江・セルビナの名付け親としても知られるが、その経緯についてはバルクルム砂丘に存在する石碑に記述されている。

地図製作の過程でホラの岩デムの岩メアの岩が人工的な建造物である証拠を入手。その証拠を固めるためバルドニアに向かい、そこでオークの襲撃に会い消息を絶つ。
その後、娘のエニッド・アイアンハートが父の志を引継ぎミンダルシア大陸地図を完成させた。

石碑に刻まれた文章から窺い知ることができるが、バストゥーク出身のヒュームにしては珍しくガルカに対して敬意を示したり、また羊による東ロンフォールの環境破壊を懸念し、オークの侵攻を予言するなど当時としては卓越した見識の持ち主であったようである。

また、752年にはエルヴァーン女性との間に娘のエニッド・アイアンハートが生まれている。751年に東ロンフォールの測量をしていることから、この時期にエニッドの母親と知り合ったのだろう。このとき彼は御歳63歳。老いらくの恋と言ったところだろうか。

バルドニアにある彼の墓には、互いに認めるライバルであったエルヴァーンの冒険家トルレザーペ・B・オルデールによる追悼の言葉が刻まれているという。
『世界に安全をもたらしたもっとも危険な男、ここに眠る』

近東との関係

彼は東エラジア社に外洋交易船の船長として雇われていた頃、「時には危険を冒してイフラマド王国アトルガン皇国にまで足を延ばして交易に従事した。 」*1とあり、船長であった728年頃~747年のどこかで近東を訪れていたことが明らかになっている。

しかし、イフラマド王国は200年前(天晶暦684年頃)にアトルガン皇国に滅ぼされており、時系列的にはイフラマド王国を訪れたのはその後のことになる。

皇国が傀儡の王を立てて形だけでもしばらく王国制を維持していたのか、それとも王国の残党が支配していた地域が残っていたのかなど、いくつか可能性は考えられるが、いずれにせよ政情不安定な土地との交易は文字通り「危険を冒して」行われたことは想像に難くない。

アイアンハート親娘の足跡


関連項目

地図】【Enid Ironheart】【アイアンハート親娘】【Torresapet B Ordelle

外部リンク

→Vana'diel Tribune II No.14「放浪の図師 グィンハム・アイアンハート」
*1
外部リンク参照。
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