モデルとなったのは、「新刀上々作」にして「最上大業物」と評される そぼろ助広こと初代越前守藤原助広。江戸時代初期寛永頃の大阪の名工である。生国は播磨国津田村で俗名は弥兵衛。
いにしえの一文字系統の刀を復元しようと独特の技法による作刀を試みた
鍛冶である。
"ソボロ"は「そ不路」と書き、そのような添銘の差料が残っていることからそう言われる。その由来については、変人で、刀
鍛冶として大成した後もボロボロの着物を着ていたからとか、古鉄の沸かし技法の一種であるとか、大阪の「ソホロ小路」に住んでいたからであるとか、「払えば落ちる」という凄まじい切れ味を比喩する言葉である、などなど諸説ある。 刀匠は住まいを銘に添えて細鏨することがあったため、大阪ソホロ小路住説が現在では有力なようだ。
明暦二年(1656)越前守受領。しかし初代助広作に受領銘のものは少なく、これはこの頃、病いがちで殆ど二代助広や門人の若狭守助宗の代作のためだとされている。
銘は、助広・摂州住藤原助広・大阪住助広・摂州大阪住助広作などと細鏨する。
このゲームには登場しないが、
ソボロ助広の養子となった二代目の津田越前守助広は濤瀾刃という刃紋を生み出した(日本刀をイメージした時に浮かぶ、ウネウネとした刃紋)。この二代目の津田越前守助広は名工である初代の
ソボロ助広を遥かにしのぐ、古今稀といってよいほどの技量を有した天才
鍛冶である。その差料はこの
ソボロ助広の3倍もの価格で取引されている。