南北朝時代の刀工の名、
義弘に由来する。
義弘は越中国松倉郷の住人であったことから、松倉郷
義弘(まつくらごう
のよしひろ)と呼ぶ。
それは本来刀工の名すなわち人名であるが、Porsche A.G.が製造販売した自動車を総称してポルシェと呼ぶのと同様、
義弘の手による刀剣をそう称する。
これは
正宗や
吉光なども同じである。
また、「松倉郷
義弘」を略して郷
義弘(ごうのよしひろ)、さらに略して郷と呼び、室町末期頃からは江と記される。江
義弘と表記されることもある。
義弘は鎌倉末期の刀工
正宗の10名の
高弟とされる
正宗十哲の一人に数えられ、その作は江戸時代、相州
正宗、粟田口
吉光とともに三作と呼ばれ珍重された。
しかし
義弘自身による銘が切られた刀は現存しない。国宝の稲葉江
には本阿弥宗家9代当主光徳による
鑑定銘として金象嵌が施されており、もう一振の国宝、富田江
は無銘である。
義弘の作とされる刀として前述の二振、稲葉江と富田江が国宝に指定されており、うち富田江は加賀藩主前田家伝来の文化遺産を保管する公益財団法人前田育徳会
加賀前田家第一の宝刀とされ、天下五剣に数えられる
大典太(国宝)も所蔵している。
が所蔵している。
稲葉江の所有者は公開されておらず、また2015年の文化庁による調査では所在不明となっている。
この他にも桑名江、松井江、村雲江、豊前江、五月雨江が重要文化財に指定されている。徳川八代将軍吉宗が本阿弥家に作成させた古刀名物帳、いわゆる享保名物帳には当時の現存11、焼身11が収録されている。
また、武田信玄の軍師として名を馳せた戦国武将、山本勘助の愛刀もまた
義弘であったという。
正宗十哲の一人であり、相州
正宗、粟田口
吉光とともに天下三作と呼ばれるほど珍重され、各大名はこぞって手に入れたがった。しかし、
義弘と在銘の作は皆無であり、
鑑定家の本阿弥が極めをつけた代物、無銘であるが郷だろうと言われるものしか存在しない。また、作風が似た刀を本阿弥が郷に出世させたものもあるという。そのことから、「郷とお化けは見たことがない。」と言われるほどであった。ただし、これは存在を疑うものではなく、在銘品のないことを言ったまでである。
Wikipedia:郷義弘 より引用。