「
南無八幡」とは、弓矢の神様である八幡神(八幡大菩薩)に祈る言葉。
弓の本来の持ち主は「ナス公」であることや、この技の名前や
エフェクトから、これらは平安時代末期の武将「那須与一宗高」が扇の的を射る際、八幡大菩薩・天照大御神その他の諸神に
射撃の成功を祈ったことに由来すると思われる。
「
南無八幡大菩薩、我国の神明、日光権現、宇都宮、那須のゆぜん大明神、願はくはあの扇のま
ンなか射させてたばせ給へ。これを射損ずる物ならば、弓きり折り自害して、人に二たび面をむかふべからず。いま一度
本国へむかへんとおぼしめさば、この矢はづさせ給ふな」
(平家物語(巻第十一、那須与一)より)
1185年(元暦2年)の屋島の戦いにおいて、平氏軍は美女を乗せた小船を出し、船上の扇の的を射てみよと源氏軍を
挑発した。扇の的を射るよう義経に命じられた与一は神仏に祈り、一射目は外したものの、二射目で見事に扇の的を射抜いてみせた。
ナジュリスにも弓
WSを使う際に「弓矢八幡、御照覧あれ!」という台詞があり、
東方では八幡という弓矢に関する神様が信仰されていることがうかがえる。