メニュー
記事メニュー
記事本文
ブックマーク
記事編集
ノート
コメント
逆引き
履歴メニュー
更新履歴
NOTE履歴
コメント履歴
会員メニュー
新規記事作成
索引
カテゴリー
ランキング
ヘルプ
リンク
歴史
ヴァナ・ディールの歴史
二王時代
記事名読み
におうじだい
サンドリア王国
で
天晶暦
702年から815年まであった、東西に分かれた内乱状態の時代のこと。
第二次コンシュタット会戦
の敗戦より2年後の693年、
狼王ルジーグ
は再
編成
した
王立騎士団
を率い、
バストゥーク
を攻略すべく出征した。その途上、王の政策に反対する王弟
フェレナン
公爵が
王都
を占領したのがきっかけである。この反乱は早期に鎮圧され、
フェレナン
公爵は一時捕らえられ幽閉されたが、後に脱獄、王を僭称した。この時から
二王時代
は始まる。
この間、
タブナジア侯国
の首長フェネレスは中立を宣言し、静観していたようである。
西
サンドリア
王
龍王ランペール
が、815年に
ロンフォール
で東
サンドリア
王
ギョホンベール
(Guillauhonbert)王に勝利し、王国を再統一した(「
二王会戦
」)。この翌年の816年にも
ギョホンベール
王(東王)派の残党が
バストゥーク共和国
の支援を受けて王子を担ぎ出して
ノルバレン
に独立国家樹立を宣言したり(「
三月王国事件
」)と、不安定な時期もあったが、
エルパラシオン
と
ヴォルダイン
の活躍もあって、鎮められている。
851年の
ドッグヴデッグ
による
サンドリア
王
グランテュール・R・ドラギーユ
暗殺事件は
東王派
の残党の謀略である。現国王である
デスティン
も皇太子時代と王に即位した時と2回程暗殺されかかっているので
注釈1
マルクワルドコル
の設定を読むと『
サンドリア
二王朝時代に暗躍していた
近東
渡来の暗殺者集団「暗い霧」が着用していた
防具
』となっている。どちらが雇ったかは明らかにされていないが(両者とも雇っていた可能性もあるが)、当事は暗殺と言う手段が結構多用されていた事が見て取れる。
、残党は結構残っていたのかもしれない。
またこの時代の余波は、その後も
サンドリア
の底辺で沈殿している。最大の例を挙げるなら、現代における
トリオン
王子と
ピエージェ
王子の対立が、当人たちの事情はともかくまことしやかに語られているのも、その余波に他ならないであろう。奇しくも
王立騎士団
を指揮する
トリオン
王子と、
神殿騎士団
を指揮する
ピエージェ
王子という構図も、
二王時代
と同じである(推測が含まれるが更に述べれば、後者の
背後
に見え隠れする
サンドリア国教会
の影もまた同様)。
あるいは前述した暗殺事件が起きた時代に目を移せば、その後「一回目に」
デスティン
王(当時皇太子)が即位したとき、従弟である
ダヴィル卿
が周囲から王位継承を推されながらもいち早く
デスティン
皇太子支持を表明したのもまた、「再び王国が二分することを憂えた」即ちこの時代の再来を危惧したのであろう、と言われている。
関連項目
【
稀なる客人
】
コメント表示/書き込み
コメントはありません