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歴史
ヴァナ・ディールの歴史
コンシュタット会戦
記事名読み
こんしゅたっとかいせん/Battle of Konschtat
サンドリア王国
と
バストゥーク共和国
とが
コンシュタット高地
で領有を争った戦役。
第一次(
天晶暦
563年)と第二次(
天晶暦
691年)の二つがある。
第一次
コンシュタット会戦
天晶暦
563年勃発。
サンドリア
王国騎士団
が、
バストゥーク
渓谷に立て篭る盗賊団を討伐する名目で起こった戦い。
バストゥーク共和国
の
共和国軍
は、新型の石弓(
ジシュカクロスボウ
の項を参照。)を並べて、
王立騎士団
の突撃を阻止。
王立騎士団
は
グスゲン鉱山
を破壊。結果としては、両者痛み分けであり、明確な勝敗はなかった。もっとも、
モニヨン銀貨
のテキストを見る限り、
サンドリア
側は鉱山を破壊した時点で自分達の勝利と考えているようだ。
第二次
コンシュタット会戦
天晶暦
691年勃発。
クォン大陸
で
人間
同士が戦った、最後の大きな戦い。
当初狼王
ルジーグ
率いる
王立騎士団
は
バストゥーク
の砦を次々と陥落させ、わずか7ヶ月で
首都
を包囲したが、
コンシュタット高地
にて行われた
戦闘
において
バストゥーク共和国
の稀代の軍師
シュルツ
の策略の前に大敗を喫し、撤退せざるを得なくなった。明確な勝敗のつかなかった第一次と違い、完全な
バストゥーク共和国
の勝利であった。
ルジーグ
は撤退後、
辺境
騎士や在郷騎士をかき集め侵攻してきた
共和国軍
を
ロンフォール
で撃退。2年後に
王立騎士団
を再編し
バストゥーク
への再戦準備を整えたものの、弟である
フェレナン
公爵の反乱を契機に
二王時代
という内乱時代に突入し、一方
バストゥーク共和国
も、
鎖死病
が大流行し
ヒューム
族
が次々と倒れ、各軍団も定員を大幅に下回るなど国家存亡の危機に陥ったため、両国とも継戦能力を失っていった。
関連項目
【
力の時代
】
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