東王派

記事名読み
とうおうは/Eastern Faction
二王時代に東西に分かれていたサンドリアのうち、東サンドリアを正統とする一派。

サンドリア天晶暦815年に二王会戦ランペール率いる西サンドリアに敗れ、サンドリアは再統一されたが、東王を支持する一派がなくなったわけではなく、統一サンドリアにも暗い影を落としてきた。

しかし、龍王ランペールは東サンドリアの騎士の領土を安堵したり、敵対していた敗者側の騎士の名誉を守るため、817年に王国旗を2頭のグリフィンが共に王冠を支える意匠に描き変えさせたり、ギョホンベールの外套であったロイヤルルダンゴトドラギーユ家の第一礼装として採用するなど、旧東王派をとりこむ政策を取っており、それが功を奏したのか、結局統一サンドリアの体勢を覆すほどの勢力にはならなかった。
東王派の活動
統一後も東サンドリアで戦っていた騎士たちが全て膝を屈したわけではなく、統一翌年の816年には東王派の残党が東王ギョホンベールの遺児ナフィベール王子を担ぎ出してノルバレンに独立国家樹立を宣言する「三月王国事件」が起きている。

しかし、王立騎士団エルパラシオン神殿騎士団白魔道士ヴォルダインは3000の手勢を率いてわずか3ヶ月で本城を落とし、ナフィベール王子らは捕縛された。

この反乱の失敗は東王派にとってもかなりの痛手だったようで、これ以降東王派獣人などの外部勢力と結託し、テロ活動にシフトしていく。

天晶暦851年にはオークの武将ドッグヴデッグ(Doggvdegg)と通じて刑王グランテュールの暗殺を主導し、さらにデスティンの暗殺も企てていた(こちらは宰相ペリデューク直属の特務神殿騎士によって858年に阻止されている)。

クリスタル大戦の時点でも東王派は活動を続けており、神殿騎士団ムシャン(Mouchand)の暗殺を手引きするなどしている。

現代では東王派が暗躍する話は出てきておらず、その後も活動を続けているのかは不明。
関連項目
二王時代】【Ranperre R D'Oraguille】【Guillauhonbert R d'Oraguille】【Grantieul R d'Oraguille】【ナフィベール】【Kingslayer Doggvdegg】【Darvylle】【三月王国事件

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