ナフィベール

記事名読み
なふぃべーる
サンドリア最後の王ギョホンベールの息子。

二王会戦ギョホンベールが敗北し、サンドリアが統一された翌年の天晶暦816年3月、バストゥークの支援を受けてノルバレンに独立国家樹立を宣言した三月王国事件で知られる。

しかし、この反乱は神殿騎士団ヴォルダイン王立騎士団エルパラシオンにより、わずか3ヶ月で鎮圧され、王子一党は捕らえられた。捕縛されたナフィベール王子がその後どうなったのかは不明である
注釈1
普通に考えれば、存在そのものが内乱の火種になりうる上に自身が反乱を起こしたとあれば処刑は免れないだろうが…。


三月王国事件について
当時のランペール王は東王派に対し宥和政策を取っており、旧東王派の騎士の領土を安堵するなどしていたため、潜在的には多くの旧東王派の勢力が残っていたはずである。

しかしナフィベールの反乱は大した規模にはならず、3000人程度の手勢で鎮圧できる程度のものに留まった。

ランペール王に懐柔された騎士が多くて戦力が集まらなかったため、ナフィベールがやむなくバストゥークの手を借りたのか、それともナフィベールバストゥークの手を借りたために騎士達がナフィベールを見限ったのかは定かではないが、いずれにせよナフィベールに力を貸そうという騎士は少数派だったようだ。

なお、ナフィベールが独立宣言時に王を名乗ったのかは定かではない。
しかし、反乱鎮圧時の記述には「ナフィベール王子一党を捕らえた」とあることから、王を名乗っていないか、名乗ったとしても統一サンドリアには認められなかったということなのだろう。

三月王国事件は失敗に終わったが、ナフィベールが捕らえられた後も東王派は暗躍を続け、グランテュール王暗殺などのテロ活動にシフトしていく。
関連項目
二王時代】【三月王国事件】【Guillauhonbert R d'Oraguille

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