第九代
サンドリア王国国王。
生没年:
天晶暦542 - 567(在位558 - 567)
二つ名は「戦王」。農王
レスヴィエル2世の第4子であり、16歳の若さで後継者争いの
ライバルであった異母兄姉を殺して自ら王位に就く。内政を重視した父王と違い、積極的に対外討伐に乗り出す。
バストゥーク侵攻、
オーク討伐など、25年の生涯で33もの戦を率いた
。「戦王」という二つ名は、敵味方に恐れられたことにより名付けられた。
性格は剛直で快活であり、騎士達や兵士達に愛されたが、貴族達からは逆に評判が悪かったため、25歳の若さで陣没した際には、貴族から毒殺されたという噂が
王都に流れた。後世にはその気質を端的に表していると思しき、「論より走れ」なる言葉が残されている。
チョコボレースの「ドラギーユ
凱旋門賞」を創設したことでも知られている。また、
エルヴァーンの山岳民である
シャティフ族にあやかり、
ナイトの兜を復刻している。精鋭騎士を選抜し、
近衛騎士隊を組織したのも彼である。
上記から内政には関心が薄かったようだが、設定資料集によれば現
南サンドリア東部にある
獅子の広場は彼が民のために唯一残したものと伝えられる。
…ちなみに
某王子は
アシュファーグ王の事を大変尊敬しているらしい。かの人物の性格や
行動パターンを知っている
冒険者なら非常に納得のいく話なのではないだろうか。