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サンドリア
Marelinne R D'Oraguille
記事名読み
まれりーぬ・R・どらぎーゆ
第十代
サンドリア王国
国王。生没年:
天晶暦
557 - 588(在位:568 - 588)
戦王アシュファーグ
の従妹。二つ名は「旅王」。
両親を早くに亡くし屋敷の
調理
人の子として密かに育てられていた。先代の戦王が早逝し、諸侯による後継者争いが起きるとマレリーヌの存在が明かされ、彼女が即位することによって内乱が
回避
された。10歳の時のことである。
しかしその後、自身の後見人の地位を巡って争いを繰り広げる貴族の姿に嫌気し、彼女は17歳となった時に
辺境
視察を名目に
王都
を出立。以降、
王都
には戻らぬまま外遊先から王令を発し、国政を司った。さらに580年、突如として
タブナジア侯国
の侯子フィレディナンと結婚し、周囲を驚かせた。
588年に
アシャク山脈
で遭難
注釈1
詳細な場所は今の所不明だが、
ボスディン氷河
がこれの北とされている。公式設定では
ジャグナー森林
がこの山脈を水源にしていると書かれているので、
ノルバレン
地方だと思われる。
。2年間の捜索の甲斐なく発見されず、帰らぬ人となった。
辺境
を整備した功績が、後に
龍王ランペール
に高く称揚され
注釈2
『龍王
ランペール
が
辺境
を視察した時、彼女の縄張による防壁を目の当たりにし「旅王がおらねば、我が国は百年前とうに滅んでいたろう」と詠嘆した』とされる。即位してからほとんど祖国(
王都
)にいなかった事、そのせいで民衆の人気が芳しくなかった事、それに
辺境
巡察中に国境地帯の防衛施設の建て直しを精力的に行っていた事などを考えるとモデルは五賢帝時代のローマ皇帝ハドリアヌスだと思われる。
、それによって史家らの再評価が促された。
アシャク山脈
視察も
蛮族
がここを越えて侵入することを危惧したのだと思われるが、果たして
オーク帝国軍
は
天晶暦
663年に
アシャク山脈
を越えるルートを開拓しており、その後は北方から続々と軍団を送り込むようになった。結果は遭難に終わったとはいえ、彼女の先見性を示していると言えるだろう。
現代には、彼女の王冠を模した
女王の王冠
という
スィーツ
がある他、彼女に仕えた騎士が用いていたという
セイブザクイーン
という
武器
が存在する。
関連項目
【
ドラギーユ家
】【
Ranperre R D'Oraguille
】【
セイブザクイーン
】【
女王の王冠
】
外部
リンク
Vana'diel Tribune II No.4「護国の女王 マレリーヌ・R・ドラギーユ」
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