奈良東大寺の千手谷(若草山の西麓)で栄えていた千手院派の刀
鍛冶、力王が鍛えた刀。千手院派は東大寺専属の刀
鍛冶で(当時の寺院は強力な武装集団であった)、僧の姿をしており、往時は仏への奉仕の一環として東大寺の僧兵たちの為に盛んに刀を鍛えていた。
日本刀は本来、武士のためだけの
武器ではなく、戦国時代までは武士と同じくらいの
戦闘力を持っていた寺院のための
武器でもあった。
愛染国俊や
来國光、
来光包などの来派も同様に比叡山延暦寺のお抱え刀
鍛冶であったようだ。
千手院派の刀は、しっとりとした潤いがあり、極めてよく練られた鉄肌が特徴。刃紋は穏やかな直刃や勢いのある乱れ刃まで様々だが、刃紋を白く見せる錵(ニエ)という光り輝く微細な金属粒子の輝きがひときわ強いことも見どころのひとつ。
千手院派はもっとも古い刀
鍛冶の流派のひとつとされており、平安時代後期から南北朝時代にかけて栄えたが、それ以降は畿内で幾度となく繰り返された戦乱の影響で衰退してしまった。平安鎌倉までさかのぼる古い千手院派の刀はあまり残っていない。力王の在銘刀は、国指定の重要文化財に指定されている栃木県鶏足寺所蔵の
太刀のほか、ボストン美術館の
太刀など、数振が現存しているようだ。