FFXIの2代目プロデューサー。
FFXIにおいてはサービス開始時から開発に携わり、2012年8月に
田中弘道氏の後任としてプロデューサーに着任した。2023年3月22日からはディレクターの
藤戸洋司氏にプロデューサーの座を譲り、本人はプランナーの一員となっている。
彼が携わった過去の作品の中の「
FFIV」では、隠し部屋にあった「開発室」で敵としてランダムエンカウントする開発者たちの中に彼が混じっていた。「てつやに よわい」「めがねの おんなのこに よわい」「さっぱり よわい」といったコミカルな表現がされており、彼と「戦った」記憶のある
プレイヤーも多いのではなかろうか。
FFXIにおいての「バトルディレクター」時代は、ある意味
FF11の中核をなす部分を担当していたこともあり、当時の
ジョブバランスに不満をもっている人の中には「
ジョブ格差助長の張本人」と見なす人もいるようだ。
また2010年のディレクター就任頃は、Twitterで頻繁に発言していた。ここでは
プレイヤーの質問に直接答えることもあり、仕様が判明することもあった。これらは【
松井ったー】と呼ばれ、
プレイヤーの声を汲み取った良修正が増え、また
松井ったーを通して
プレイヤーとの交流を開発に生かすなどの活動をしており、その開発姿勢を評価する
プレイヤーも増えた。
FFXIVリードバトルプランナー就任に伴い、
FFXIディレクターとしての在任は僅か3ヵ月の短い間となったが、痒い所に手が届く
ユーザーフレンドリーな調整が多く見られた為、氏の突然の異動を惜しむ声が多く聞かれた。
その後2年を経てプロデューサーとして
復帰。開発の陣頭として再び
FFXIに携わることになる。部下の失言で
FFXIフォーラム
ユーザーから謝罪を強要されるなど、プロデューサーとして対応に苦慮しながらも、
アイテムレベルの導入など大きな変遷を経ながら意欲的に活動している。
プロデューサーは定年まで続ける覚悟で引き受けたが、20周年の節目に
藤戸洋司氏からその役目を引き受けたいと申し出があり、何か符牒のようなものを感じて交代を決意したようである。
未だに議論される事の多い
空蝉の術:弐について、氏は5th Anniversary
Vana'diel Memoirs内のインタビューにて「手をいれるべきか否か、迷っている間に
戦術が確立してしまった」と述べている。さらに、同じインタビューにて「
MMORPGを作成するにあたってもっとも大事なものとはなんだと思いますか? 」との問いに対し
覚悟かなと。技術的なものも当然必要になってきますが、私は
MMORPGに対する技術があったわけではないので、いろいろと試行錯誤をくり返しました。
やはり、「ちゃんと作るぞ」と、「最後まで逃げないぞ」といった覚悟がないのであれば、"
MMO"の製作には携わらないほうがいいのでは?と思います。
と述べた一方、
SQUARE ENIX PARTY 2007(2007/05/13)において、「もしも五年前に戻れるなら?」との問いに対し、
空蝉II……察してください。本当は全部設計しなおしたい、がらっと。(松井)
とのコメントを残した。
仮定の話とはいえ、同じ時期のインタビューにも関わらず、一部掲示板では批判が巻き起こった。