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歴史
ヴァナ・ディールの歴史
トーテンタンツ (歴史)
記事名読み
とーてんたんつ/Totentanz
天晶暦
710年代に
バストゥーク
で大流行し多数の死者を出した疫病「
鎖死病
」の蔓延に伴い、
ヒューム
の間で一時流行った行進のこと。「
死の舞踏
」とも呼ばれる。
ヴァナ・ディール
の「
死の舞踏
」
死の恐怖から生まれた虚無の「舞踏」
さあ、死者と踊れ!
回れよ、ハイ!
貧者に賢者、大富豪も
逝かば、もれなく枯れ骨よ
楽しむはいま、今宵だけ!
さあ、死者と舞え!
歌えよ、ハイ!
老女に麗人、美少女も
死なば、おんなじされこうべ
楽しむはいま、今宵だけ!
〔
バストゥーク
の古詩「
死の舞踏
」より〕
公式ページ記事 戦場の女神「踊り子」(2007/10/22)
天晶暦
711年、とある異国の旅人が
宿屋
で急死したことで流行が始まった
鎖死病
は、他国から派遣された
白魔道士
や薬などでも治癒できず、日を増すごとに死者を増やしていった。
そんな最中、
首府
では流言飛語と虚無思想が広まり、やがて上記の詩が人づてに伝わると、夜に庶民の間でこの詩を唱和しながら、
魔法
で動く骸骨と共に踊り歩くという行進「
トーテンタンツ
」がまたたく間に流行った。
共和国
政府は当初
鎖死病
対策に追われ、
トーテンタンツ
を黙認していたが、やがて軍の前線にまで広まり、職務放棄してまで参加する兵士が現れたことで事の重大さに気づき、禁止令を出したが、既に止められない状態にまで陥っていた。
行進は昼夜を問わず行われ、民衆は暴徒と化していた
注釈1
この時、
ガルカ
に対する民衆の
攻撃
が行われたと推測される。
為、ときの
大統領
ヴィルヘルムは非常事態宣言を発令、共和軍
注釈2
ガルカ
が主体だった。
を動員し武力による民衆の鎮圧も時間の問題と思われていた。
民衆を救った
踊り子
の「武踊」
そんな最中、
グスタベルグ
の奥地から薬草を届けにきていた山岳民族の
踊り子
達が自らの舞踏である「
クリークタンツ
(武踊)」を披露したところ、独特の
ステップ
とリズム、躍動感溢れるその踊りに民衆は惹かれ、活気を取り戻していった。
鎖死病
の感染を恐れず、
踊り子
達は
バストゥーク
の各地で
クリークタンツ
を披露すると、いつしか虚しい踊りの行進は忘れ去られていった。
やがて
鎖死病
は
アトルガン皇国
から招かれた
錬金術師
が偶然生み出した薬によって治療法が確立し、
天晶暦
716年に根絶が宣言される。その際、
大統領
ヴィルヘルムは
錬金術師
と共に、民衆の心に力を与えた
踊り子
達を称えた。
リアル
の「
死の舞踏
」
Wikipedia「死の舞踏」より引用、抜粋。
死の舞踏
(しのぶとう)とは、中世末期の14世紀から15世紀のヨーロッパで流布した寓話、およびそれをもとにした一連の絵画や彫刻の様式である。La Danse Macabre(
フランス語
)Dance of death(英語)、 La Danza Macabra (古
フランス語
)、Totentanz(
ドイツ語
)と多数の
言語
による呼び方が存在する。
死の恐怖を前に人々が半狂乱になって踊り続けるという14世紀のフランス詩が起源とされており、
注釈3
踊り子
の設定の記事で記された詩は、このフランス詩をイメージして作られたものだろう。
一連の絵画、壁画、版画の共通のテーマとして死の普遍性があげられる。生前は王族、貴族、僧侶、農奴などの異なる身分に属しそれぞれの人生を生きていても、ある日訪れる死によって、身分や貧富、
性別
や容姿の差なく、無に統合されてしまう、という死生観である。
一連の「
死の舞踏
」絵画の背景には、1347年から1350年にかけてヨーロッパ全土を襲い、当時の三割の人口(地域によっては五割とも言われる)が罹患して命を落とした、ペスト(黒死病)が影響しているといわれる。
注釈4
当時は有効な治療法が見つからなかった事や、高い感染率と致死率など、
鎖死病
と共通する点は多い。
当時は百年戦争(フランス王国とイングランド王国の戦争)の最中でもあり、戦役・ペストによる死者が後を絶たないため、葬儀や埋葬も追いつかず、いかなる祈祷も人々の心を慰めることはできなかった。
注釈5
民衆の間ではペストがユダヤ人によってもたらされたものと考えられ、ユダヤ人虐殺が行われた。
ヴァナ
における
ガルカ
迫害などのエピソードも、この事件を踏まえたものと思われる。
教会では生き残って集まった人々に対して「
メメント・モリ(死を想え)
」
注釈6
ENM
「
トーテンタンツ
」にも登場する
コース族
の
モンスター
が
メメントモーリ
という技を使うが、その由来はここにあると思われる。
の説教が行われ、早かれ遅かれいずれ訪れる死に備えるように説かれた。しかし、死への恐怖と生への執着に取り憑かれた人々は、祈祷の最中、墓地での埋葬中、または広場などで自然発生的に半狂乱になって倒れるまで踊り続け、この集団ヒステリーの様相は「
死の舞踏
」と呼ばれるようになった。
関連項目
【
鎖死病
】【
踊り子
】
外部
リンク
Wikipedia「死の舞踏」
公式ページ記事 戦場の女神「踊り子」(2007/10/22)
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