大遠征時代

記事名読み
だいえんせいじだい/The great expedition
アドゥリンにおいて天晶暦400年頃のウルブカ開拓宣言発令
注釈1
より正確には、開拓が再開されてしばらくしてから「大遠征」と呼ばれる遠征が始まっているので、アドゥリンで『「大遠征」の時代』と言った場合にどの範囲までが含まれるのかはやや曖昧である。
から天晶暦684年前後(およそ200年前)に開拓禁止令状が発布されるまで東ウルブカ地方の開拓が盛んに行われていた時代。

大遠征時代アドゥリンはまだ王政を敷いていたが、その直前の350年頃には名家同士の覇権紛争が発生するなど不安定な状態になっていた。開拓再開後は権力者たちは開拓力で競うようになったことから、外側に力を向けることで国内を安定させようという意図もあったのだと思われる。

当初の開拓は順調だったようで、徐々に増した開拓の勢いは、450年頃に「大遠征」と呼ばれるウルブカ大陸深部への遠征に発展したようだ
注釈2
クエスト更に渇く男」の「魔法国家の噂」では、スヴェルドリードが戻ってきたC.E.400年前期は、大遠征に突入する直前の開拓の勢いが増してきたころ、という情報が得られる。


しかし、この時代には後述するように様々な不可解な出来事が起きており、「森の呪い」の存在が囁かれていた。そして最終的には開拓は「とある事件」によって禁止されるに至ったとされている

これ以降、アドゥリンの人々はジョリウスの門の内側に閉じこもることになる。また開拓中止との関連性は定かではないが、同時期にララ水道も建設されている。

しかし、膨大な人、資金を開拓に注ぎ続けた結果、アドゥリンは大きく疲弊することになった。

大遠征時代の終了以降、アドゥリンは交易の時代に突入するが、当初は海流の激しいセンロー海を制するのに苦労したようで、交易が軌道に乗るまでにはかなりの期間を要した。そのため、すぐには大遠征時代の痛手から回復することができず、およそ100年後にアドゥリンは王政から都市同盟制に移行することになる。
参考(同時期の出来事)
アドゥリンクエスト更に渇く男」ではこの時期の出来事について掘り下げられている。

それによると、スヴェルドリードアドゥリンに戻ってきたのは大遠征直前の天晶暦400年前期とされており、開拓再開から間もなく魔導剣士の技術がアドゥリンに伝えられたことが分かる。

研究論文「大地の怒り」によると、天晶暦550年ごろからウルブカ大陸で地震現象が見られるようになり、「一夜繁茂の怪」では天晶暦600年前期に森が一夜にして急成長したという出来事が記録されている。

ウルブカ大陸の地震は世界樹が苦しんで身震いすることで発生することから、おそらく550年頃にラゾア大陸双生の世界樹が燃やされ、600年前期に根を残して世界樹が枯れたのだと思われる。

また大羊天晶暦607年に「西の諸島」からサンドリアに持ち込まれたことになっており、大遠征時代の頃からアドゥリンサンドリアには交流があったことがうかがえる。

大遠征時代終了後の天晶暦702年にサンドリア二王時代に突入したが、タブナジア侯国はこの内戦に対して中立の立場をとっている。東西どちらのサンドリアからもある程度の距離を保たなければならなかったタブナジアと、大遠征中止の痛手を負っていたアドゥリンにとって、お互いに交易は悪くない話だったのである。
関連項目
神聖アドゥリン都市同盟】【開拓者】【ウルブカ開拓宣言】【開拓禁止令状】【更に渇く男

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