862年10月の肌寒い夜、当時のバストゥーク共和国の大統領であったプリーンとの会談を終えた後の帰宅途中に何者かに暗殺される。
鋭利な刃物で、何度も執拗に刺された跡が胸にみつかったことから当初は怨恨殺人の線で捜査を進められていたがサンドリアから赴任した駐在武官、エルビオン・N・デュレル准爵(Elbiont N Dieuler)の進言によって全く別の殺人像が浮かび上がる。それはトンベリで、彼によれば開戦前よりサンドリアでは闇の王が放ったと思われるトンベリによって主戦派と目される騎士が何人も暗殺されており、その傷口は全く同じものだった。
その奇妙な話はやがて首府に吹き荒れることになった要人暗殺の嵐、大統領プリーン暗殺未遂事件の発生に至り、実証されることになったという。