Alphollon I Tavnazia

記事名読み
あるふぉろん・I・たぶなじあ
初代タブナジア侯爵で、鉄血王ランフォルに仕えてサンドリア王国の建国に尽力したエルヴァーンの1人。佩剣としてブルトガングを用いていたことで知られている。

生没年:天晶暦?~388年

生年は不明
注釈2
天晶暦379年の時点で「若者」とされていることから、おそらく天晶暦350~360年頃。
エルヴァーンの一部族ビュルトラン族に生まれる。

この頃、エルヴァーンは各部族に分かれ暮らしており、国家を作る意思はなかった。

天晶暦370~373年にかけて、ウィンダス連邦ルンゴナンゴを総司令官とする遠征軍クォン大陸に派遣し、これらの部族を打ち破ってクォン大陸の統一を果たしている。このウィンダスの支配に対して立ち上がったのが、後に鉄血王と呼ばれるランフォル・ドラギーユであり、アルフォロン・タブナジア(当時)はこの戦いの中で歴史に登場することになる。

天晶暦377年、サンドリア族ランフォルウィンダスに叛旗を翻し、ロンフォール総督府を占拠した。この後、ランフォルウィンダスの支配下にあったガレヤン族ビュルトラン族と戦うことになるが、その戦いの最中の379年、アルフォロン・タブナジアは自らの手勢を率いてランフォルに合流している。ただし、ランフォルビュルトラン族との戦いは380年まで続いていることから、ビュルトラン族そのものが帰順したわけではなく、アルフォロン・タブナジアとその部下の離反だったようだ
注釈3
375年にはビュルトラン族ウェルバルドによって鞍を用いた新しいチョコボ騎乗法が考案されている。ウェルバルドがアルフォロンの一派に含まれていたかどうかは定かではないが、このときランフォルの元に新しいチョコボの騎乗法が伝わった可能性は高いだろう。


その後は山岳民族シャティフ族を説き伏せ、ランフォルに恭順させるなどの功績を挙げ、サンドリア建国時にはクォン大陸西部半島の僻地(タブナジア半島)に侯爵として封じられた。なお、この時点ではタブナジアサンドリアの所領の一部であり、独立国となったのは413年のことである。

アルフォロン自身はサンドリア王国建国から3年後の388年に死亡したが、その後もタブナジア侯爵家とドラギーユ王家は緊密な関係を保ち、サンドリア王国繁栄の礎となった。
その他
騎士道の体現者と呼ばれ、主君に他意がないことを知らせるため、模擬試合でわざとブルトガングを折ったというエピソードがある
注釈4
ブルトガングの設定より。
(ただし、ブルトガングにはその跡は認められないため、後から作られた逸話か別の剣であった可能性もある)。また「勇将」と呼ばれている
注釈5
プロM結び目」より。
ことから、戦略眼だけではなく武力にも長けた名将であったようだ。

名称について
プロM結び目」では、封侯される前のアルフォロンの名前が、日本語版ではアルフォロン・タブナジア、英語版ではAlphollon Tajeuxとなっている。当項目ではタブナジア侯爵としての名前を採用しているが、なぜ封侯前の名前が英語版と日本語版で異なっているのかは不明。

また、サンドリア大聖堂には呪物解呪を行ってくれるAlphollon C Meriardという同名の人物もいる。関連性は不明だが、アルフォロン侯にちなんで名づけられたという設定でもあるのかも知れない。
関連項目
ランフォル・R・ドラギーユ】【タブナジア侯国】【ブルトガング】【Alphollon C Meriard

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