能楽「土蜘蛛」において、源頼光が葛城山の土蜘蛛を斬った刀。
元は「膝丸」といい、源満仲が源氏の発展を願って鍛えさせた二
振りの
太刀の内の一つである(もう一つは「髭切り」、後の
鬼切りである)。
膝丸の名は、試し斬りに罪人の
死体を用いたところ、両膝を一気に斬り落とすほどの切れ味を見せたことから名付けられた。
これが「
蜘蛛切丸」と名を変えたのは、満仲の子・頼光の代のことである。
あるとき頼光が病を煩い、日夜、物の怪の現れる悪夢に悩まされる。
四天王が屋敷に宿直して看病したが、その隙を狙って身の丈七尺(約2.1m)もある怪僧が忍び込み、頼光に縄を掛けて捕らえようとした。
すると頼光、がばっと跳ね起き、枕元の膝丸を取って斬り付けると、僧は血を滴らせながら逃げ去った。
膝丸を託された四天王がその跡を辿っていくと、やがて葛城山の山中に大きな塚を発見。
これを掘り崩したところ四尺(約1.2m)ばかりの土蜘蛛が現れ、激しい戦いの末、頼光から預かった膝丸で止めを刺した。
この功績により、膝丸は新たに「
蜘蛛切丸」と号されるようになったのである。
また、今昔物語の「滝夜叉姫物語」では、平将門の娘・百合姫が朝廷に復讐するために鬼女・滝夜叉姫となり、頼光の蔵からこの刀を盗み出す。
蔵の管理者であった卜部季武は責任を追及され、刀を捜し求めることになった。
やがて妻・姫松や四天王の一人・碓井貞光の援助でどうにか滝夜叉姫を倒し、刀を奪い返したという。
後に源頼綱、頼義、義家と受け継がれ、義家の子・為義の代には、夜になると蛇の鳴くような不思議な音を立てることから「吠丸」と名を改められた。
更には為義の娘婿である熊野別当・教真に受け継がれるが、自分のような人物がこの源氏重代の刀を持つべきではないと考えた教信は、源氏の母を持つ権現という人物に吠丸を譲る。その後、権現は牛若丸(後の源義経)に吠丸を譲り、それを大層喜んだ牛若丸は、刀の名を熊野の自然にちなんで「薄緑」と改める。なお、この頃に刀身は磨上げられて短刀となった。
そして義経の成人後、兄・頼朝が兄弟刀である髭切を持っていることを知った彼は、自分が兄と対等の宝刀を持っていては源氏を二分してしまうことになると考え、薄緑を箱根神社へ奉納した。
しかし薄緑は、曾我兄弟の仇討ちに際して箱根別当・行実僧正により兄弟に与えられ、ここでも多大な威力を発揮することとなる。
兄弟は見事仇討ちを果たすも、その直後の
戦闘で兄は討死、弟は捕縛され処刑。
薄緑は頼朝に召し上げられた。
そして現在の薄緑は、改めて箱根神社に奉納されているということである。