抜丸は、「源平盛衰記」に登場する、小烏丸と並ぶ平家伝来の名刀。一説によれば、伯耆国大原眞守の作と言われる。元は伊勢国に住む貧しい男が伊勢大明神のお告げにより授かった刀であり、猟に持って行けば獲物を逃すことはなかったという。また、男がこの刀を大木に立てかけて眠ったところ、翌朝には木が古木の如く枯れ果てていたことから、当時は「木枯」と名付けられていた。後に、伊勢守であった刑部卿平忠盛がこの噂を聞きつけ、男から買い取った。
ある時、忠盛が六波羅池殿で昼寝をしていると、池から大蛇が現れ、彼に襲いかかろうとした。その際、枕元に置いていた木枯が自然と鞘から抜け出て倒れ、忠盛を物音で目覚めさせると同時に大蛇を追い払ったことから、新たに「
抜丸」の名を与えられるようになった。
平治の合戦では忠盛の子、三河守頼盛が所持し、兜をとらえた敵の熊手の柄をこの
太刀で打ち切って命拾いしたという。数多くの兄弟の仲から頼盛が相伝者に選ばれたのは、彼が池禅尼(池殿)の実子であり、また忠盛が特に可愛がっていたからであるという見方が強い。