京都国立博物館所蔵の重要文化財の
太刀「
菊御作」
愛刀家であった後鳥羽上皇は日本各地から名工を呼び集め、月毎に当番を置き、鍛刀させた。これを御番
鍛冶という。
菊一文字で名高い一文字則宗や
鬼丸で名高い粟田口
国綱もその一人である。
後鳥羽上皇は、承久の変に至る際、士気を鼓舞するために、離宮であった水無瀬殿にて、御番
鍛冶に指導させながら相槌を振るわせ作刀したといわれている。これらの
太刀には菊花紋章が刻まれ、「
菊御作」「御所焼」と呼ばれ、勤王派の武士たちに下賜されたという。これが天皇家の菊花紋の始まりとされている。
僅かに現存するこれらの
太刀は、数千万円の値段がするが流通していないことも無い。