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坂口博信
記事名読み
さかぐちひろのぶ
1962年、茨城県生まれ。横浜国立大学工学部電気情報工学科中退
注釈1
FF11
の前プロデューサー
田中弘道
氏も同じ大学に通っており、旧知の仲である。
。
83年、当時の
スクウェア
にアルバイト入社。その後社員となり、1987年に総指揮を務めた『
ファイナルファンタジー
』のヒットで一躍注目を浴びる。以来、長く開発部門のトップとして同シリーズや『クロノ・
トリガー
』等の名作を世に送り出し、
スクウェア
躍進の原動力となった人物。特徴的な口
ヒゲ
からきたニックネーム「
ヒゲ
」と共にファンに愛されるクリエイターであった。
しかし、2001年2月、業績悪化に伴い代表取締役副社長を引責辞任。氏が監督を務め同年公開された映画版
ファイナルファンタジー
『
FINAL FANTASY ― ファイナルファンタジー
』が、160億円という巨額の予算を投じたにも関わらず興行的に大不振に終わったのが業績不振の最大の原因と言われ
注釈2
それまで赤字額ワースト1だった
ウォータ
ー
ワールド
を越え、ハリウッド史上最高額の赤字を出したと言われている。
、2003年4月の
エニックス
との合併の遠因となった。
これにより、坂口氏が当時
EverQuest
に強い影響を受け、製作に当たっていた
FF11
のプロデューサーも
田中弘道
氏に交代となった。現状のゲームバランスへの不満から、「もし坂口氏が当初構想した通りの
FF11
になっていたなら」と考える
プレイヤー
も多い
注釈3
もっとも、
オンライン
のノウハウが会社になかったことや、そもそも無謀な映画の企画を通す時点で本人の傲りがあったことから
ユーザー
視点の運営ができていたかはわからない。歴史にifはないものだ。
。
退社後、新たにゲーム製作会社
ミス
トウォーカー(http://www.mistwalker.info/)を設立。
2005年のE3において、
Xbox 360
用の
RPG
ソフトとして、『
ブルードラゴン
』『
ロスト オデッセイ
』2作の製作を発表した。
関連項目
【
植松伸夫
】【
田中弘道
】
外部
リンク
Wikipedia:坂口博信
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