舞草(もくさ)
鍛冶は岩手県一関市で発祥したと伝わる伝説的な流派。
平安時代中期頃からこのあたりには刀剣
鍛冶団が住んでいた。そして当時の東北地方での長い内戦の中で、それまで主流だった反りのない直刀ではなく、日本刀の原型となった反りのある刀を初めて創始したとされている。この刀は
舞草刀と呼ばれ、「聞こゆる
舞草(うわさに名高い素晴らしい刀だ)」と当時の武士に賞賛されていたという。
しかし、平安時代末期までさかのぼる古い備前や大和や京都の刀は現在でもそれなりの数が現存しているのに、不思議なことに日本刀の源流であるはずの
舞草刀は、昔から絶えて見ないといわれており(試行錯誤で日本刀の形が完成されて行くまでの試作品的な刀姿だったから古い時代に廃棄されてしまったとか、美術要素皆無の実戦刀だったからやはり古い時代に消耗し尽されてしまったなどの諸説があった。)近年になって鎌倉時代頃の
舞草刀ではないか?と
鑑定されるものがぽつぽつと現われており、その実態はここ20年ほどの間に研究がはじまったばかりだ。
作風は、東北産の鉄を用いた“砂を刷り込んだ”ように見える鉄の鍛え肌がひとつの特徴。刃紋は古い刀にありがちな穏やかに波打つ刃紋か、刃紋がぼやっとしてはっきり現れないうずみ焼きという古代からの特殊な焼入れが行われたものもあるという。刀としての洗練味や美しさは、国宝になっている古い備前や京都の刀には今一歩及ばないが、まさに「原初の美」と言っても良いような味わいに満ちた作品が多い。
東日本大震災と原発事故の影響により、東北の旧家で先祖代々秘蔵されてきた
舞草刀が手放され、数百年ぶりに世に出てきている例もあるようだ。