字は雲長。中国
三国時代の蜀の武将。
演義によれば身の丈9尺、髭は2尺、ナツメのように赤い顔に切れ長の目。重さ八十二斤の青竜
偃月刀を得物として曹操から送られた名馬「赤兎」に乗る豪傑である。
張飛とともに劉備と義兄弟の契りを結び、劉備を助けた。劉備が地盤を固め
三国鼎立を成し遂げると、要とも言える荊州を任されて魏、呉と対峙するが、呉に攻められて斬られた。
劉備の軍が四散した際には曹操に請われて一時陣営に加わるも、劉備の健在を知ると曹操からの贈り物を返納して帰参。その途中、行く手を阻んだ曹操の将軍6人を片っ端から打ち破ったという。その義理堅い態度から曹操も帰参を許し、死後民衆は商売の神として祀り(義理を果たし約束を違えない態度が商人の美徳に結びつけられたため)、関帝、関公などとして親しまれている。また、見事な髭から「
美髯公」とも呼ばれている。
なお髭については、正史である蜀志・関張馬黄趙伝において、諸葛亮が「
関羽が美しい髭を生やしているので、彼のことを髭殿と呼んだ」という記述があるのみで、関帝廟で見られるような見事な髭があったかどうかついては定かではないのだが、とある唐
詩人のエピソードによれば、その頃には既に
関羽と言えば
美髯公というイメージが定着していたように思われる。