松野泰己

記事名読み
まつのやすみ
かつてスクウェア・エニックスに在籍していたゲームクリエイター。

元々は株式会社クエストに在籍しており、そこで「伝説のオウガバトル」「タクティクスオウガ」など後世に名高い名作を生み出し、コアなゲーマーからは高い支持を集めるようになる。
その後にスクウェア移籍し、「FINAL FANTASY TACTICS」を製作。これが130万本を超える大ヒット作となり、ライトユーザーの間にもその名が知られるようになった。

クエストのゲーム開発部門の凍結と共に旧クエストのチームと合流し、第四開発室を率いて将来が期待されていた。
坂口博信の強い推薦で「FINAL FANTASY XII」の製作を行うが、当時製作していた「FINAL FANTASY TACTICS ADVANCE」との並行が困難を極め、FINAL FANTASY XIIの開発は遅々として進まず、結果として発売までに5年の歳月を要することとなった。
体調不良を理由にFINAL FANTASY XIIのプロデューサーを途中降板し、河津秋敏氏がプロデューサー代行を勤めることとなった。2006年3月に執行役員を解任され、同年8月退職。暫くの間、動向が不明となっていた。
その後、2006年9月14日の任天堂主催"Wii Preview"の会場内で放映された開発者インタビューに登場。任天堂Wii用ゲームソフトのアイデアを練っているとの近況が伝えられた。

FF11にはPlayOnlineの開発プロデューサーの一人として間接的に関わっていたほか、FF11製品版ver.1
注釈1
つまりジラートプロマシアなどの拡張ディスク以前の無印のもの。
のスペシャルサンクスにクレジットされている。以降の拡張ディスクに名前は確認されない。

かつてはプレイヤーとしてもヴァナにおり、FF11のシステムをかなり気に入っていたようである。この影響がシームレスな戦闘などFINAL FANTASY XIIに色濃く生かされ、同作は「オフラインFF11」とも言われている。FINAL FANTASY XIIマンドラゴラが登場しているのも彼の眼鏡に叶ったためで、彼はFF11プロデューサー田中弘道に出演許可までもらっていた。

詳細
職人気質なクリエイターと言える。
作品の製作にあたっては、一切の妥協を許さずゲームシステム、ストーリー、演出、その他の一切において徹底的にこだわりぬく事で知られている。
SFCでのタクティクスオウガの製作においては、当時のハードウェアでは不可能だと思われていた、視点変更自在の疑似3Dビューの描画エンジンを構築、その上に緻密な戦略バトルシステムを組み上げることでマニアを驚嘆させた。さらに、民族紛争や人種差別を扱った深みのあるシナリオ、単純な善人や悪人の登場しない、実在感のあるキャラクター。そして全9部作に渡るオウガバトルサーガの張り巡らせた伏線など、物語作りに於いても傑出した才能を見せる。またシステム面では、家庭用ゲーム機としては初のリアルタイムなオンラインヘルプシステムを搭載し、初期のキャラクター設定シーンでは、さりげなく当時の先端技術だった3Dポリゴンによる演出が組み込まれるなど、技術と演出の双方で抜きんでた、驚異的な工夫が凝らされている。現在では当たり前となった、これらの仕様も当時クロック周波数がたったの3MHz、メインメモリを64KBしか搭載していないSFCという貧弱なハードウェアで、これほどまでに高度なゲームシステムを組み上げた事で、発売当時はゲームファン達の度肝を抜いたのである。
その後も「ベイグラントストーリー」などでは自身が徹底してチェックを行い、キャラクターを半歩進ませては360°視点を動かしてポリゴン欠けがないかを確認したと言う。そうして生み出された数々のゲームは芸術の領域と言える深い感動をプレイヤーにもたらし、熱狂的なファンを多く抱える
注釈2
坂口博信もその一人であり、シミュレーションRPG好きな坂口を虜にしたのもオウガバトル二作であった。

が、その結果、と言うかそれが故にゲーム開発は極めて遅いクリエイターとしても有名で、発売の延期と言う問題が常に付きまとっていた。
また、ダークファンタジー性の強いシナリオや高い難易度、独特の台詞の言い回し(語尾に「ッ」をつける、「ん」は「ン」と表記される、など)は好みが大きく分かれやすい。
外部リンク
Wikipedia:松野泰己

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