ミスラ海兵隊

記事名読み
みすらかいへいたい
天晶暦769年に元老院によって創設された、ミスラの海兵隊。
当時元老院の頭を悩ませていたのが、ミスラ海賊の対策であった。
そこで元老院はコペルニクス的発想の転換で事態の解決を試みる。
その案の骨子は次の通り。
多額の報酬ミスラ海賊を募集し、
彼女らを海兵隊として登録して、
私掠船の認可を与える。

当のミスラ海賊達には、
「連邦の船を襲わない限り、俸給も保証され、堂々と聖都で商売もでき、
 海賊稼業も続けられるらしい」
と好評だったのか、彼女達の海賊船がどっとウィンダス港に集まり、港は柄の悪い海賊であふれ返り混乱したとか。

なおこれが、786年に勃発したエルシモ海戦の遠因となったとする説もある。

現実世界の私掠船は16世紀のイギリスに始まり
注釈1
実は17世紀にイギリス政府はジャマイカのポートロイヤルで上記のウィンダスの政策と似た様な政策を採用している。イギリス以外(主にスペイン)の船を襲っている限り私掠船として認め、港は自由に使用でき堂々と商売が行えると言う破格の条件だったためポートロイヤルには世界各地から海賊が集まった。町は海賊海賊相手に商売をする酒場や娼館であふりかえり「世界の海賊首都」として名を馳せていたが1692年の地震で町の大半が水没、新大陸におけるスペイン勢力の斜陽もあり町が昔日の勢いを取り戻すことは無かった。
、ヨーロッパのナポレオン戦争やアメリカの南北戦争などで運用された。
19世紀に入ると武装商船を軍艦として登録することが国際法で定められ、消滅した。
関連項目
ミスラ傭兵団

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